5
嵐の夜、タント・ピエールは命こそ助かりましたが、あの轟音と共に永遠に音の世界を失いました。
けれども、彼の瞳は以前にも増して輝きを放っていました。
橋の建設現場では、誰よりも早く出勤し、誰よりも遅くまで残って働きました。
彼の手がけた橋は、驚くほど短期間で完成し、その美しい姿はまるで空に架かる虹のようだと人々の間で噂になりました。
その評判は、まるで風のように素早くアラアラ国中に広がっていきました。
国王は、城の高い塔から完成した橋を眺めながら、ふと微笑みました。
「あの男なら、きっとできる」
国王の心には、長年の夢がありました。
分断された民族たちを一つにまとめ、本当の意味での「国」を作ること。
タントの冷静な判断力と、人々の心をまとめる不思議な力が、その夢を実現してくれるかもしれないと、国王は直感していたのです。
しかし、タントが大臣として城に着任した日、廊下には重苦しい空気が漂いました。
アラアラ国では、異なる民族同士が何世代にもわたって争い続けてきました。
それぞれが自分たちの文化こそが最も優れていると信じ、他を認めようとはしませんでした。
「外国人が、それも耳の聞こえない者が、どうして私たちの大臣になれるというのか?」
そんなささやきが、豪華な絨毯を敷き詰めた廊下を、影のように這いまわりました。
他の大臣たちは、表向きは愛想よく微笑みかけましたが、その笑顔の奥には氷のような冷たさが潜んでいました。
彼らの目には、タントは「よそ者」であり、「障害者」でしかありませんでした。
しかし、タントの瞳は常に前を向いていました。
彼の心の中では、バラバラになった国の姿が、まるでパズルのピースのように浮かんでは消えていきました。
どうすれば、それらのピースを一つに組み合わせることができるのか。
タントは眠れない夜も、その答えを探し続けました。
初めての大臣会議の日。
タントの隣には若い筆記者が座り、緊張した面持ちで会議の内容を書き留めていきました。
会議室の空気は、まるで凍りつくように冷たく、他の大臣たちの視線は鋭い刃物のようでした。
「本日より、皆様と共に働けることを光栄に存じます」
タントの声は、静かでありながら、不思議な力強さを持っていました。
他の大臣たちは形式的な笑顔を返しましたが、その目は笑っていませんでした。
「まさか、この重要な会議に、耳の聞こえない者を?」
「国の大事を、よそ者に任せるなど」
ささやきは、まるで毒蛇のように這い回りました。
筆記者の額には冷や汗が浮かび、ペンを握る手が小刻みに震えました。
しかし、タントは淡々と自分の考えを述べ始めました。
その姿は、嵐の中でもびくともしない灯台のようでした。、

「アラアラ国の未来のために、まず私たちがすべきことは、それぞれの民族の声に耳を傾けることです。彼らの痛みを、喜びを、そして夢を、しっかりと理解する必要があります。その上で、全ての人々が誇りを持って暮らせる国を、共に作り上げていきたいと考えています」
その言葉に、会議室の空気が微かに揺れました。
タントの瞳に宿る確固たる信念と、その言葉の重みに、大臣たちは思わず息を呑んだのです。
「しかし、何世代も続く民族間の対立を、簡単に解決できるとでも?」
年長の大臣が、皮肉を込めて問いかけました。
「特に、あなたのような…耳の聞こえない方に、果たしてそれが可能なのでしょうか?」
タントは穏やかな微笑みを浮かべながら答えました。
「確かに、簡単な道のりではないでしょう。しかし、私には特別な武器があります。それは、目で見て、心で感じる力です。私は音は聞こえませんが、だからこそ、皆さんの表情や仕草から、より深く真実を理解することができます。この力を使って、新しい視点から解決策を見出していきたいのです」
その言葉は、凍りついていた会議室の空気を、少しずつ溶かしていきました。
会議後、タントは自室の窓辺に立ち、夕暮れに染まるアラアラ国の景色を見つめていました。
遠くには、彼が建設に携わった橋が、夕陽に輝いています。
その橋のように、人々の心と心を繋ぐ架け橋になりたい。
タントは静かに決意を新たにしました。
「一度に全てを変えることはできない。でも、一歩一歩、確実に前に進もう」
翌日から、タントは大臣一人一人と個別に会話を重ねていきました。
相手の目を見つめ、一つ一つの言葉に込められた思いを丁寧に受け止めていく。
それは時間のかかる作業でしたが、タントの顔には疲れの色は見えませんでした。
むしろ、その瞳は日に日に輝きを増していったのです。
つづく
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